2006年11月16日午前1時51分親父は帰らぬ人となった。
3回死を彷徨い復活したが今日亡くなってしまった。 今は礼服を着替えに、そして母を休めに家に帰宅して俺はブログを書いている。 親父には、俺の信仰を学んでもらい、それを受け入れて、プロテスタントになってもらった。なので、葬儀は教会式になる。 親父は、2回目の危篤を経験したとき、低酸素状態の高濃度二酸化炭素が抜けずに昏睡状態となり、一時は余命5日位だと言われていた。そして、高濃度二酸化炭素が体内から抜けていないことから、痴呆症の症状が出ていて、おかしな事ばかり言っていた。 主治医からは、元に戻る確立はゼロだと宣告された。 しかし、奇跡的に、復活したのだ。医者は驚いていた。そして痴呆症のような状態も戻り、呼吸以外は普通の親父になっていた。本当に奇跡が起こったのだ。 外科の先生や麻酔科の先生、内科の先生までも驚きを隠せなかったのか、病室を訪ねてきた。 親父の体質は特異体質だったのかもしれない。 何故なら、3回目の結果も、命の生命線が点滴だったからだ。主治医はこの種の病気の場合、点滴で命が延びることはまず無いと言っておられたので、そうではないと感じた。 今の医療は、トータル的に見て、今まで行っていたことを例にして、患者の治療法を決め ているのではないかと思う。しかし、中には特異体質な人も存在しているので、平均を取らずに、じっくりと今後の医療方針を考えてほしいと感じた。このような俺の親父のようにあまり例を見ない体質である人こそ、これからの医療に貢献できるのではないかと考えたが、生憎、入院先の病院は、そのような病院ではは無かった。 結局、親父は、息がまともに吸えないまま、毎日毎日を過ごし、最後は低酸素高濃度二酸化炭素によって、意識がもうろうとし、自分で酸素チューブを抜き、亡くなった。
by 40ton
| 2006-11-16 18:21
| 病気
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