人間、死んでしまったらどうなるのだろうか?
僕は、人が死ぬと、この世での意識は当然なくなるが、別の世界の意識として目覚めると信じている。 その世界とは、この世と平行して動いていると考えているのだ。 当然、死の世界だから、僕たちが生きている間にはその世界を見ることも感じることも出来ないけど、稀に第六感として、その世界を感じる人がいると思う。その人こそが臨死体験や、超能力を持った人だと思う。 生きている時の世界は、生の体があるので、痛みを感じるが、死の世界は生の体が無いので、常に浮かんでいるのではないかなと考える。 そして、行きたい所にも、思ったところへ直ぐに行けるのではないかなと考える。 死の世界からは、生きている人の考えが分かり、行動も全て見える。 しかし、生きている人からは、死の世界は見えることも出来ず、死の世界の人たちにもコンタクト出来ないようになっているのではないかと思う。 時々、あまりにも思い詰めて、死の世界の人とコンタクトできる人がいるのではないかと思う。 死ぬと言うことは、この世界の次元と切り離すことであり、死の世界はこの地球上での違う次元に行くことだと思う。 死の世界は地球上にあるが、次元が違うので物体全てがこの世には無い。 では、次元とはなんだろうか? それは、人間の力では解明できないようになっていると思う。 次元とは、世界であり、空間であり、存在であり、時間だ。 この4つは人間が作り出すことは出来ない。 人間は、そこにいる、または存在することだけしか出来ないのだ。 それが出来ないための、神の存在なのだ。 神は、人間を作られた。人は母体から生まれてくるのだが、一人一人に神が刻まれた設計図がある。 それが、DNAだと思う。DNAは分子と原子から出来ていて、人間がDNAの組み換えが出来たのとしても、 分子と原子の組み換えは出来ない。もし出来たとしても、それは物体とならない。 人間は神の創造物だから、神レベルの物まで作れないようになっている。 先日、親父が亡くなった。 親父は2度死に掛けて、3度目に本当に死んでしまった。 1度死に掛けた時に言っていた事は、死に掛けた人がよく言う言葉だった。 「川の向こうに沢山の人がいた。それは知らない人達ばかりで、皆、こちらを向いていた。しかし、父が川の中央に来た頃に、誰かがここにまだ来てはいけない・・・という声がしたので引き返した」 そして、2度目に死に掛けた時には、 「沢山の綺麗な花が見えた。見渡す限り、あたり一面花畑だった。あれは何処なんだろう・・・」 と言っていた。 よくテレビでも耳にする言葉なんだけど、本当に人間は死に掛ける間際になると、そういった場面に遭遇するのだと思う。 死ぬと言うことは、この世で生がある限り怖いのだけど、それは神が怖いと言う気持ちを作らせたのだと思う。 僕はクリスチャンなので、ここで言う神とは、キリストであり、モーセだと思っています。 父は死に際に、キリストを受け入れ、信じてくれたので、絶対に僕が死んだ時、会えると確信しています。 死者の世界と、この世とは確実に一方通行なので、死者からの返答は聞こえないけど、僕たちの父である人の言葉を信じると、死の世界は確実に存在すると言うことが分かってきます。 人間は、見えるものの存在は直ぐに信じるが、見えないものの存在はなかなか信じることが出来ない。 凄く困った時には、誰でも「神様~」という。「お母さん~、お父さん~」と言う人は少ないと思う。 それは、人間そのものが神から出来たのだから、本能がそうさせているのだ。 僕たちはその神からの創造物であるので、その命を大事にしていきたいと思う。
by 40ton
| 2007-12-12 01:03
| 病気
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